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Sant-Jean-Pied-de-Port(サンジャン・ピエドポー)アイコン
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東京都渋谷区 専門ジャンル:フランス/バスク料理

1977年生まれ。精肉店を営む実家で育つ。19歳で料理の道に入り、都内のレストランで修業。2003年に渡仏、バスク地方のミシュラン1つ星レストラン「オテル・レ・ピレネー・シェ・アランビット」などにて勤務。2007年に帰国、渋谷の「アバスク」料理長となり、2010年から3年連続でミシュラン1つ星を獲得。2013年、バスク料理レストラン「サンジャン・ピエドポー」を開店。
※2018年8月現在

バスク料理のすべてに魅了されました。

店名に込めたバスクへの想い

ビスケー湾に面し、ピレネー山脈をはさんでスペイン北東部とフランスの南西部にまたがるバスク地方は、独特の言語や文化を持ち、最近では美食の地としても注目を浴びています。僕が修業のために訪れたのはフランス領バスクの街、サン=ジャン=ピエ=ド=ポーです。歴史を感じる街並も人の穏やかさもすべてがすばらしく、何より、バスクの人たちの食に対する誇り、伝統を大切にする信念に感銘を受けました。
サン=ジャン=ピエ=ド=ポーで働いた「オテル・レ・ピレネー・シェ・アランビット」(現在はL'hôtel les Pyrénées - Famille Arrambide)では、シェフであるアランビットさんから、手間ひまをかけ、丁寧な作り方で伝統の味を守る姿勢を学びました。その感動を日本のお客さまにもお伝えしたいと、店の名を「サンジャン・ピエドポー」に決めました。

精肉店の息子がバスクへ渡るまで

僕が料理に興味を持ったのは、10才の時です。僕の実家は精肉店を営んでいて、両親ともそこで働いていたのですが、母親が病気で入院したことがあったんです。それで、僕が毎朝洗濯をして、朝ご飯を作ってから学校に行くことになって。ところがそのご飯作りが面白くて、いつか料理人になって、大好きな洋食屋さんをやりたいと思うようになったんです。
中学を卒業したらレストランで働きたいと父親に言ったのですが、「それはだめだ、高校だけは行きなさい」と。もし高校を出ても気持ちが変わらなかったら、料理の道に進みなさいと言われ、仕方なく高校に行きました。
もちろん気持ちは変わることなく、高校卒業後、すぐに都内のレストランに就職。その時教わったシェフが、現在たまプラーザで「レ・サンス」のオーナーシェフを務めていらっしゃる渡辺健善さんです。渡辺シェフからフレンチを学び、洋食の中でもフレンチをやりたいと思うようになりました。また、フランスで修業している先輩の影響もあって、自分もフランスに渡って向こうの郷土料理を勉強したいと、2002年に渡仏しました。
最初に行ったのは、リヨンとジュネーブの間に位置する街、シャンベリーです。「ブション・リヨネ」と呼ばれる、リヨンの郷土料理を出す料理店のスタイルがとても好きで、ぜひ現地でその料理を学びたいと思ったんです。でも、正直なところこれといって新しい発見もなく、1年ほど滞在したものの次はどうしよう、という時に、現地で知り合った料理人仲間に紹介されたのが、バスクの「オテルデピレネー・シェ・アランビット」だったというわけです。

バスク料理に魅了されて

その時は、バスクの知識もほとんどなく、絶対バスクで働きたいと思っていたわけではなかったのですが、現地で料理を学び、文化を知るにつれ、バスクに対する想いはどんどん変わっていきました。これはすごいところだな、他の地方とは全然違うな、と。サン=ジャン=ピエ=ド=ポーは巡礼の街ですから、ちょっと散歩するだけで歴史ある街の佇まいを堪能することができますし、自然も豊かで、伝統を大切にするバスクの人たちの誠実さにも感銘を受けました。
バスク料理は調理法も独特な部分がありますし、食材も特有なものがあり、種類も豊富です。
山ではまず、トランペットやモリーユ、セップ、ジロールといったきのこ。この4種類については、スペインとフランスの国境にまたがるピレネー山脈で採れるものがとても美味しかったです。肉は豚、羊とそのチーズ、もちろんジビエ。サン=ジャン=ピエ=ド=ポーの近くで生育されているバスク豚は「キントア豚」とも呼ばれるブランド豚で、旨味が濃く、上質な脂の甘味が絶品です。フルーツもすばらしくて、ダークチェリーのジャムはいろいろなスイーツに登場します。
海ではシピロンと呼ばれる小ヤリイカ、ルージェ(ヒメジ)、タラ、カキ、手長海老、ホタテ、サバ、マグロ。イワシもすごく美味しい。とにかく魚の種類が豊富です。コンパクトなエリアで山も海も新鮮な食材が揃うのは、とても魅力的でした。

日本でも本物のバスク料理を届けたい

向こうで驚いたのは、ピマンデスペレット(エスプレット唐辛子)を多用すること。フランス・バスクのエスプレット村で収穫される唐辛子で、辛味だけでなく香りや風味がすばらしいスパイスです。日本ではちょっと高価なので、同じように使うことはできませんが、現地では下ごしらえから仕上げまで、いろいろな料理の要所要所で、「こんなに使うの?」っていうぐらい使います。ピマンデスペレットは火を通すとグッと甘くなるんですよ。最後に振っただけの味とは全然旨味が違っていて、これは向こうでしか学べない発見でした。
また、スモークパプリカパウダーはスペイン・バスクでよく登場するスパイスですが、もちろんフランス・バスクでも使います。燻製の香りとパプリカの味わいのバランスがすごくいい。ただし、その燻製香が合う食材を選ぶことが大事ですね。たとえばサーモンのマリネだったら、そもそもスモークサーモンがあるくらいなんだから、合わないわけがない。マリネする際に使うと風味が染み込みやすく、燻製香が弱まって甘味が立って全体がまとまります。ほんのりとした色づけにもいいと思います。今回はお魚料理でご紹介しましたが、じつは鴨との相性もすごくいい。燻製の香りと食材がケンカしないかどうか、相性を考えて取り合わせを選んでいただきたいですね。

バスク料理に魅了されて

「オテル・レ・ピレネー・シェ・アランビット」では1年半近く働きました。それからブルゴーニュでフィリップ・パカレのワイナリーでヴァンダンジュ(ぶどうの収穫作業)に参加し、その後、バスクの隣のランド地方に移って、1ツ星レストラン「ヴィラ・スティング」で副料理長を務めました。
ランド地方を選んだのは、やっぱりバスクから離れたくなかったから。それぐらいバスクが好きだったし、その頃にはフランス語もある程度話せるようになって、友だちもたくさんできていましたからね。
変な話ですけど、フランスに行く料理人って向こうの人から「ルセット(レシピ)泥棒」って言われたりすることがあるんですよ。数ヵ月しかいないで、言葉も喋れないまま、レシピを盗むだけ盗んで帰っちゃうって。そんな人ばっかりじゃないですけど、でも、きれいなお店にちょっと行って、華やかな料理を覚えて「バスク料理はすごい、これを日本でも作ろう」って考えたところで、それじゃ本当のバスクの魅力は伝わらないと思うんです。
僕の場合は、いつか自分が店を持った時、フランス人が来てもバスク人が来ても一緒にバスクの話ができて、バスクに昔からある伝統料理をちゃんと味わってもらえる店にしたかった。だから、バスクから離れることなく、言葉や文化を含めて、ちゃんとバスク料理の原点を学んでおきたかったんです。「料理ができれば言葉なんて喋れなくてもいいじゃん」という日本人シェフは少なくないけれど、僕はそうではないと思っています。
バスクの中でも、伝統を守り続けたいという料理人と、新しいものに挑戦する料理人がいますよ。やっぱり、なくなっていく古い店もあります。バイヨンヌにあった、すごくおいしいスープ屋さんもなくなってしまって、とても残念でした。僕は自分が学んだバスク料理を大事にしていきたいと思っていますが、考えてみると、そこには自分の両親の影響があるかもしれません。うちの両親は、埼玉の小さな街の商店街で、今でも精肉店を続けています。スーパーがなくなり、煎餅屋さん、魚屋さん、薬屋さん、八百屋さん、みんなつぶれてしまったけれど、そんな中でうちの両親は、43年前とおんなじものを毎日作っている。昔からあるものを変わらず作り続ける、そういうすごさってあると思うんです。僕の店は開店してまだたった5、6年ですが、「バスク」という一つのキーワードに対して、変わらない仕事を続けていきたいと思っています。
まぁ未だにバスクはスペインだけだと思っている人は多いですし、サン=ジャン=ピエ=ド=ポーとサン・セバスチャンの違いが分からない人も多いですけどね(笑)。そういうのを見聞きするたび、最初はフランス・バスクの認知度の低さを嘆きたくなりましたが、今は気になりません。フランスでもスペインでもどっちでもいいから、バスク料理という魅力ある一つの文化を多くの人たちに味わってもらえれば、それでいい。そのために、バスクで学んだことを大切に守り、変わらない味をお客さまにお届けしていきたいと思っています。